新型コロナから何を学ぶのか
新型コロナ 思い出す「階上中学生の答辞」
「自然の脅威にもっと謙虚になるべきではないか」
こんにちは院長の林です。本日の話題は「自然の脅威についての考え方」です。いま新型コロナウイルスから逃れるためにさまざまな取り組みが行われています。「3密」「マスク着用」ソーシャルディスタンス」…。これまでの生活様式を一変させるもので、皆さん少なからずストレスを感じておられると思います。もちろん、私も不自由を感じています。みなさん同様、一刻も早く非常事態宣言が解除にならないかなあ、と願っています。先日、仲間内とお酒を酌み交わしたい、と強く思うことがありましたが、そのときある言葉がフッと頭をよぎりました。
「自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切な物を容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というにはむご過ぎるものでした。辛くて、悔しくてたまりません。(中略)生かされた者として顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く正しくたくましく生きて行かなければなりません。命の重さを知るには大き過ぎる代償でした。しかし苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことがこれからの私たちの使命です」
これは東日本大震災で被災した、宮城県気仙沼市階上(はしがみ)中学校の卒業式で卒業生代表が読み上げた答辞の一部です。NHKニュースでも取り上げられたうえ、文部科学白書にも取り上げられたそうですから、ご記憶のある方もおられると思います。
溢れそうな涙を懸命にこらえながら前向きに将来への決意を語る15歳の姿に感動し、私も涙したものです。
「苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく」というこの言葉は、新型コロナの脅威にさらされているいま、必要な心構えではないでしょうか。
新型コロナ災禍で国際協調は崩れ、自分だけは、との思いから食料の買い占めに走り、マスクで一儲けを企てる…。いままで人類が築き上げてきた信頼が大きく揺らいでいます。
それは新型コロナを「自然の脅威」と感じず、危機感が薄い人が少なからずいるからではないでしょうか。
新型コロナウイルスは未知なるウイルスです。間違いなく自然の脅威です。にもかかわらず、人によっては「自分だけは感染しない」という根拠のない自信を持ち、マスクも手洗いもせず、「仮に感染しても日本の医療が何とかしてくれる、すべきだ」といわんばかりの態度で医療関係者に接する人がなんと多いことか。
日本人は長い間、自然の脅威に敏感で、その前では謙虚でした。それが社会全体を向上させてきたのだと思います。ところが、いまの日本人は「自然の脅威」と感じることができなくなり、脅威を糧によりよい未来を切り開くために協力するという美徳を忘れたように思えてなりません。
くだんの卒業生は答辞のなかで、「お父さんお母さん家族の皆さんこれから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。必ず良き社会人になります」と決意を語りました。
私たちは今回の「自然の脅威」で何を学ぶのでしょうか?